私たちが三線を楽しめる時間 目次へ
今日は、私たちが三線を楽しめる時間、について考えてみた。ちなみにこの記事は、30歳以上の人のために書いた。まあ、三線を習っている人には30歳以上の人が多いのも事実であるが。
私たちは、自分たちが三線を楽しめる時間が意外と少ないことに気がつかなければならない。
人生いろいろなことがある。結婚、出産。特に女性はやはり赤ちゃんができたら大変だ。三線などとても弾けない。子供も一人、二人、とできると、子育てが一段落するのには10年はかかる。あっという間に、40歳代、そして50歳が見えてくるではないか。
仕事もだんだん責任が重くなる。社会においての期待も大きくなる。なかなか三線を楽しむような余裕がなくなることも多い。
その間に、ふと日だまりのように、三線を弾く時間が持てた人は本当に幸せであると思うが、その時間は長くは続かないと言うことを知るべきである。せいぜい2−3年ということを知らなくてはいけない。
この時に、すごく三線を稽古することができるのであれば、その純粋な気持ちを優先させなければならない。しがらみ、などにかまっていてはいけない。行ける所まで行っておかなくてはいけない。この時期はすごく実りの多い時期だ。知力も体力もある。やればやった分だけ伸びる。
この時期を経て、子育てや仕事などが一応一段落するのが、40代後半。この時期も人によるのだが、数年、三線に取り組める時間を持つことが出来るかもしれない。ちょっと厳しい言い方をすると三線を練習して、スムースな技術の向上を見込めるのはこの時期がおそらく最後となろう。
50歳を過ぎ、60も近くなれば、人生も大体見えて、比較的精神も安定して、三線の練習にも取り組めるが、知力、体力も明らかに昔とは異なる。昔なら1日で出来た所が1週間くらいかかると思わなくてはならないだろう。暗譜にも時間がかかる。ここらでは、過去にどのくらい練習して、曲をものにして来たか、そして、その曲に自分の人生をぶち込み、渋みを加えて行く時になろう。
願わくは、指導的立場でありたい。
と、いろいろ述べたが、三線の練習に取り組めなくなることはいくらでもある。仕事がキツかったり、リストラ、離婚など家庭のごたごたなど、三線どころでなくなることだってよくある。
こう思うと、三線を続け、コンクールなんかで新人賞、優秀賞、最高賞、あるいは、最優秀賞、と上がって行くのはまさに、人生の障害物競走のようなものだ。
このレースに先生たる者、生徒のやる気を第一に尊重しなくてはならないだろう。しかし、そうでもないつまらない残念な話もよく聞くのだ。
八重山古典民謡コンクール これは何度も述べているように、八重山古典民謡では、唯一無二の最高峰で、どの流派の人でも受けられる公開されているコンクールである。
このようなコンクールを習っている人が受けるならば、かなり練習しなければならないし、また、新人賞ならば、基本的な曲を相当根詰めて練習出来るので、すごく強固な土台を築くことができる。
例えば、沖縄本島でよく行なわれている、琉球○○コンクールの課題曲はすごく少ない。インターネットで簡単に拾ってみると、
新人賞 鷲ぬ鳥 つんだら節 でんさ節 あがろーざ などから1曲自分で選んで受験。
優秀賞 小浜節 安里屋節 から、1曲指定されて唄う。
あらかじめ言っておくと、課題曲が少ない、だからダメ、ということではない。いろいろな種類のコンクールがあっても良い。
ただ、熱心で実力のある人だと、力が余ってしょうがないんじゃないかな、と思う。
そんな人が、八重山古典民謡コンクールを受けたら本当にすごい。
新人賞で、鷲ぬ鳥 鳩間節 鶴亀節 千鳥節 夜雨節 安里屋節 弥勒節 を暗譜してマスターしなければならない。これは非常に良い練習になる。いや、私事であるが、良い練習になった。強固に基礎を固めることができたと思っている。
いや、受けなくたって良いのだ。自分で練習してこれらの曲を暗譜してものにしていけば良いのだが、コンクールでもないと、人間なかなかできるものではない。それも現実だ。
でも、変な話もいろいろある。八重山古典民謡コンクールを受けたいと言ったら先生に拒絶されたとか、あるいは、黙って受けたらバレて叱責されて破門になったとか・・・・
くだらない話だ。生徒の熱い思いや人生の短さを理解出来ない先生もいるのだ。
前記した。私たちが三線を楽しめる時間というものは短いのだ、ということ。その中で、八重山古典民謡の膨大な課題曲に取り組もう、という志は非常に前向きで立派なことなのだ、ということ。
先生に言われて断念するのもその人次第。しかし、三線をやれる環境など、いろいろな状況で来年にもどうなっているか、分からないし、自分自身のやる気なんか3ヶ月でなくなる。八重山古典民謡コンクールに取り組むぞ、というドロドロと溶鉱炉の中で溶けた鉄のような熱い思いも3ヶ月ですっかり冷えてしまうこともよくあることだ。
そのように厳しく考え自分の進路を厳しく定めなくてはならない。場合によっては、可能ならば先生を変えたって良いではないか。
私、熱い気持ちをもって、八重山古典民謡コンクールの新人賞に取り組んだ。幸い新人賞を取ることができた。そして、さらに、今、優秀賞の曲に取り組めることを幸せに思っている。
優秀賞の曲もごつい。赤馬節 蔵ぬ花 上原ぬ島節 月夜浜 小浜節 大浦越路節 古見ぬ浦
私は今まで習い事をやってもなかなか上手くいかなかった。飽きっぽいし、あまり才能もない。しかし、新人賞の曲と、優秀賞のこれらの曲をマスターして暗譜すれば、それはそれですごいことではないかな、と思っている。そしてそれを今、目指している。また、私に許されている時間もどれほどあるか。そんなに多くないことも知っている。皆さんと同様に・・・・
註)念のために申し上げておく。課題曲が少ないからといって、だめなコンクールだとは私は考えていない。逆に多いからと言って良い、というものでもないだろう。それはそれでコンクールを行なう協会が決めたことだ。
ただ、多いとそれだけそれを目指して詰めた稽古が出来る。それがメリットだ。
いや、コンクールの課題曲でなくてもきちんと稽古しなければならない。ただ、初心者はやはり、課題曲があったほうが、自分の稽古の目標が見えやすいという点もある。
まあ、課題曲の多寡などコンクールの善し悪しを測る上で関係がないとも言える。鷲ぬ鳥 を唄ってもらえば、だいたいその人が、どのくらいのレベルかは分かりそうなものではないだろうか。
若き日の空手の大山倍達先生は、世界中を武者修行をして歩いた。この男は、そのときに、フランスの地下プロレス界で出会ったレスラーであるロゴスキー。
地下プロレスのルールは、反則なしのバリードゥードゥ。金ケリ、目突きも許される。
大山倍達先生が、ロゴスキーと戦う数日前、ロゴスキーが大山倍達先生に言った言葉。
「おれは戦いの途中で止められない。だから、今まで戦ったレスラーを何人も殺したり、不具者にしたりしてきた。アメリカのプロレス界でも戦ったが、ショーのプロレスなど出来る訳もなかった。最後はアメリカのプロレス界から追い出され、流れ流れてここまできた。だから、俺と戦うのは止めておけ。もう一度言う。止めておけ!」
ここまで来るのだってすごく大変なんだ。熱い気持ちがないと行けないのだ。その私たちの熱い気持ちを理解して暖かく見守って欲しいのだ。
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