コンクール受験録(5日目)
平成23年6月27日(月)くもり
今日は、八重山最後の日。短いが本当に夢のような日々であった。何と感動的な日々であったことだろう。
昨日は先生のお宅で2時過ぎまで飲んだ。
そして帰り、風呂に入り、3時過ぎに寝た。
今日は7時半頃眼が開いて、8時頃のそのそと起きだした。まず、風呂に入り、レンタカーの手続きをした。
今日は15時05分の飛行機であるので、時間はある。時間を無駄にしてはいけない。
朝ご飯を食べる。ビュッフェ形式。ご飯、納豆、みそ汁、ゴーやチャンプル、漬け物。ヨーグルト、コーヒー、さんぴん茶を食する。
部屋で大急ぎで荷造りだ。
9時半にレンタカーで出発。カーナビの使い方が分からず、ちょっと時間がかかる。最後まで分からない。ただの地図として使うことにした。
まず、市民会館に行って、合格発表を見る。確かにあった。
ここから出発。9時45分である。地図を見る。初めての道なのであまりよく分からない。あかんまサッカーパークで赤馬の像を見て、そのあと、野底岳を目指すことにする。
すぐに、八重山農林高校があった。ここの郷土芸能部は有名である。YouTubeでよく見ている。
87番を行くと、市街地を抜け、牧草地と林になる。於本岳が見える。「富野(とみの)」という指示看板が見えて来た。「おおっ、これは、あの「富野ぬ牛なーまユンタ」の富野(ふさぐーぬ)ではないか」と思うと感動した。自然に富野ぬ牛なーまユンタが口に出る。
大分手前で牛の写真を撮るが、しかし、ここは富野ではなかった。興奮しすぎて早漏れだ。何度かそのようなことがあった。
ここでひとつの重大なことに気がついた。
当たり前だが、八重山民謡の本場はここ八重山であるという。
以前5年程前、一度、三線で八重山民謡を主に習ったことがあり、那覇に本島系のコンクールを受けに来たことがある。そこでも付属で八重山民謡、宮古民謡のコンクールをやっていた。やはり、ほとんどが本島系の受験者で聴こえてくるのは、「安波節」、最高賞では「世宝節」。そんなコンクールを何度か受け、しばし落ち、しばし受かり、新人賞を取った。
この時は、沖縄に来られて嬉しかったし、興奮していた。私も真剣だったし、仲間もみんな一生懸命だった。今と同様に、同じ三線を志す、「三線兄弟」が一同に会して、それはそれで楽しかった。
プライベートでは、沖縄の浜辺などで弾いてみたけど、潮騒を聴きながら、沖縄の暖かい風に吹かれて、気持ちが良かった。
でもはっきりと、今、分かった。石垣島でコンクールをやってもらうと、なんと有意義なんだろう。5年程前の那覇でのコンクールと比べて、自分の心に染みてくるものが段違いである。
あの時は、課題曲が1曲だけだったが、この八重山古典民謡コンクールは本当に大変だった。
鷲ぬ鳥、鳩間節、鶴亀節、千鳥節、安里屋節、夜雨節、彌勒節の7曲を暗譜しマスターしなければならない、コンクールの2週間前に、そのうちの2曲が抽選で選ばれるのである。受験者はみな、この2曲を歌う。ちなみに今年の新人賞は、鳩間節と千鳥節だった。
曲の間に調弦がある。これがなかなかきつい。1曲だけなら、控え室で、メーターを使ったり、あるいは先生に調弦してもらって、そのまま弾いて、帰ってくれば良いが、間に調弦があるので、その稽古も積んで来たし、ステージ上で緊張した状態で出来るかどうか不安だった。
つまり、このコンクールに出ると決めた半年くらい前からずっと緊張と不安がつきまとっていたのである。
それが一気にここ石垣島で盛り上がり、頭がポッポッと発火した状態で、今日のように八重山を回ると、本当に見るもの、見るものが、目に、そして心に染みるのである。
「富野」という何気ない平凡な道路看板にさえ、激しく感動し興奮するのである。
「富野」という看板に感動するくらいだから、実際に黒島に行った時には、「ここが、あの野底マーペが命をかけても帰りたかった島なのか」と思うと、胸に熱いものがこみ上げてきました。
また、野底岳を見たときは、ここがマーペが病を押してまで登った山なんだ、とか、実際のうっそうとした登山口まで行った時には、マーペはどのような気持ちでここから登ったのかな、と思うと、万感胸に迫るものがありました。
本島に行ってもこのような感動は味わえませんでした。いやさ。本島にコンクールで行ったら、そのついでにちょっと八重山まで足を伸ばせば良いのですが、私には、そんなヒマのカネもありません。とにかくいつでも、沖縄にコンクールに来るだけで、やりくりで本当に大変です。
だから、この八重山古典民謡コンクール。ここ、八重山の石垣島でやってくれて、本当に良かったと思いました。
さて、ほどなく行くとあかんまサッカーパークがあった。行ってみたが、赤馬の銅像がないではないか。中の方にあるのか、と思い、係員に聞くと、「宮良」にあると。
まあ、そうか、ということで、野底を目指す。
内陸を越え、海が見えてくる。「大田」という地名。あれは「うふだ」か。あの、片はげのある男が、ある女性を好きになり、花酒(上等な泡盛)を持っていってその娘の父親とかけあったが、片はげの男には娘はやらないと言われた、あの「うふだ」である。いやあ、感動します。
しばらく進むと、「野底」が見えて来た。「下地」というものもある。野底臭い地名である。
右手に野底だけが見えて来た。頂上が尖っている独特の山の形をしている。ネットで見たことがある。
遠目に写真を撮る。
更に進むと、ぐんぐんと山が大きく見えてくる。この山があの野底マーペが、最後に黒島を見たくて、恋人に会いたくて登った山なのか、と思うと胸が熱くなる。
小さな川に橋がかかっており、この橋を久場山橋と言うのだそうだ。久場山越路節である。しばらく行くと山が遠ざかっているではないか。行き過ぎである。
また、さっきの久場山橋まで戻ると、ここに登山口があった。道はかろうじてあるものの、うっそうとして、登れと言われてもちょっと一人では怖い感じ。もっとも今日は時間がないので、登る予定はなかった。この登山口の所でつんだら節と久場山越路節を三線を弾きながら唄ってみた。人はだれもいない。
残念ながら久場山越路節はちゃんと暗譜していない。でもいいさ。なんか、このようなところで唄うと、感じがつかめるような気がする。
ここから川平湾に行く。ここも10年ぶりくらいなのだろうか。
川平湾はさすがにきれいである。観光客多い。碑のところで、鶴亀節と鷲ぬ鳥を唄ってみたい、と思ったが、人が多過ぎる。
ここを後にして、名蔵あんぱる を目指す。「あんぱるぬ蟹ユンタ」の場所。石垣島を回ると、次々と唄に出て来た地名が回り舞台のようにくるくると出てくるのが嬉しい。途中に崎枝もあった。
ここは干潟である。ラムサール条約にも指定。だからカニが一杯いると言うが、今日はあまりいなかった。西表の水牛車が出ている所は一杯カニがいたな。ここにはいなかった。うる覚えの歌詞で唄ってみた。やはり現地で唄うと気持ちがよいな。自分の中で何かが理解出来る。
しばらく行くと、名蔵あんぱる の標識があるではないか。降りると、ここに唄の看板があった。
さあ、時間が押している。12時30分を回った。あと1.5時間だ。
これから、黒砂糖や泡盛をスーパーマーケットで買い、トバラーマや赤馬、宮良橋、白保を見られるのか。時間いっぱいだ。
と思ったら唐人墓地、というのが出て来た。2kmというので行ってみる。
なるほど。昔、アメリカに苦力(クーリー)として連れて行かれた支那人が船の中であまりの待遇の悪さに反乱を起こしたという。その支那人らは石垣島に逃げ込んだ。しかし、アメリカ側の追跡は厳しく、見つけ次第処刑。島の人は支那人をかくまったと言う。最終的に日本国政府とアメリカで話をして、260人あまりの支那人が釈放されたと言う。また、苦力の待遇改善を計ることになったという。
竹富島が見えて来た。石垣市街に入る。昨日、歌の日をやった児童公園がある。ここから竹富島がきれいに見える。BEGINは高校時代とか、ここでよく遊び、夕陽を見ながら、友達を話をしたりした、と言っていたが、その公園に行ってみた。昨日は人が一杯、熱気がいっぱいであったが、今日はガランといている。でも昨日のコンサートはすばらしかったな。あれを見られただけでもすばらしかった。
ここから、白保の方に進む。あと1時間くらい。しかし、最後までいろいろ行きたい。全部回れるか。
運転していると、ビッグ1という安売り店が見えて来た。ここに入ってみることとする。行くと、黒砂糖を置いていないと。
向かいのかねしげスーパーに行く。
ここで、黒砂糖や、泡盛を買う.泡盛は清福の43度を買った。どなんはなかった。どなんの60度が欲しい。
ここからしばらく行くと、何と、あの、トバラーマの碑があるではないか。超美味しいポイントだ。大興奮だ。
降りて写真を撮る。3番あこうの木もあった。撮る。
あとは、赤馬。目指して進む。市街地を抜けて行くと、宮良橋あり。「おお、これがあの宮良橋か」と思うと興奮した。
ここは帰りに写真をとるものとする。
そこからちょっと行くと、赤馬の碑があった。ここでも写真。赤馬に触ったら赤馬が上手く歌えそうに思い、膝と足をさすった。なかなか良いものだ。
このへんは宮良湾という白い浜辺の湾があり、赤馬はここを歩いていたと言う。なるほど、このような所なら、歩ける。地元の港や、波のキツいすぐにごぼっと深くなる遊泳禁止の砂浜では馬など歩くことのできるはずもないが、この宮良湾なら遠浅だし歩けそうだ。また、えらく「赤馬節」に対する感覚が研ぎ澄まされてしまった。
ここから白保に向かう。もう時間は15分くらいしかない。
白保の町を過ぎると、海が見えるがきれいな海である。しかし、白保のビューポイントがない。フクギのきれいな道あり。
この辺で時間切れ。引き返す。
帰りに宮良橋で写真。近代的な橋だが、宮良川が海に注ぐ所。きれいな所である。まあ、ここに橋がなければ不便である。「宮良橋」というウタもなるほどだ。分かった。
2時を過ぎた。空港に向かう。
空港には10分頃着。
三線を持ち込めるか聞くと、サイズを測り今日は持ち込めると言う。飛行機が空いていれば持ち込めるのである。
空港の荷物の所で鞄をひろげて、黒砂糖を鞄に詰める。もう人目もくそもない。大わらわだ。でも一段落。
ちょっとだけ時間があるので、ソーキ蕎麦。遅い昼ご飯。ビールも飲む。石垣空港のソーキ蕎麦は肉が大きくておいしい。那覇空港とは大違いだ。
飛行機に乗って帰る。三線旅行の終了である。
そーきそば 肉がでかいのが、嬉しかったぞ。
今日は、八重山最後の日。短いが本当に夢のような日々であった。何と感動的な日々であったことだろう。
昨日は先生のお宅で2時過ぎまで飲んだ。
そして帰り、風呂に入り、3時過ぎに寝た。
今日は7時半頃眼が開いて、8時頃のそのそと起きだした。まず、風呂に入り、レンタカーの手続きをした。
今日は15時05分の飛行機であるので、時間はある。時間を無駄にしてはいけない。
朝ご飯を食べる。ビュッフェ形式。ご飯、納豆、みそ汁、ゴーやチャンプル、漬け物。ヨーグルト、コーヒー、さんぴん茶を食する。
部屋で大急ぎで荷造りだ。
9時半にレンタカーで出発。カーナビの使い方が分からず、ちょっと時間がかかる。最後まで分からない。ただの地図として使うことにした。
まず、市民会館に行って、合格発表を見る。確かにあった。
ここから出発。9時45分である。地図を見る。初めての道なのであまりよく分からない。あかんまサッカーパークで赤馬の像を見て、そのあと、野底岳を目指すことにする。
すぐに、八重山農林高校があった。ここの郷土芸能部は有名である。YouTubeでよく見ている。
87番を行くと、市街地を抜け、牧草地と林になる。於本岳が見える。「富野(とみの)」という指示看板が見えて来た。「おおっ、これは、あの「富野ぬ牛なーまユンタ」の富野(ふさぐーぬ)ではないか」と思うと感動した。自然に富野ぬ牛なーまユンタが口に出る。
大分手前で牛の写真を撮るが、しかし、ここは富野ではなかった。興奮しすぎて早漏れだ。何度かそのようなことがあった。
ここでひとつの重大なことに気がついた。
当たり前だが、八重山民謡の本場はここ八重山であるという。
以前5年程前、一度、三線で八重山民謡を主に習ったことがあり、那覇に本島系のコンクールを受けに来たことがある。そこでも付属で八重山民謡、宮古民謡のコンクールをやっていた。やはり、ほとんどが本島系の受験者で聴こえてくるのは、「安波節」、最高賞では「世宝節」。そんなコンクールを何度か受け、しばし落ち、しばし受かり、新人賞を取った。
この時は、沖縄に来られて嬉しかったし、興奮していた。私も真剣だったし、仲間もみんな一生懸命だった。今と同様に、同じ三線を志す、「三線兄弟」が一同に会して、それはそれで楽しかった。
プライベートでは、沖縄の浜辺などで弾いてみたけど、潮騒を聴きながら、沖縄の暖かい風に吹かれて、気持ちが良かった。
でもはっきりと、今、分かった。石垣島でコンクールをやってもらうと、なんと有意義なんだろう。5年程前の那覇でのコンクールと比べて、自分の心に染みてくるものが段違いである。
あの時は、課題曲が1曲だけだったが、この八重山古典民謡コンクールは本当に大変だった。
鷲ぬ鳥、鳩間節、鶴亀節、千鳥節、安里屋節、夜雨節、彌勒節の7曲を暗譜しマスターしなければならない、コンクールの2週間前に、そのうちの2曲が抽選で選ばれるのである。受験者はみな、この2曲を歌う。ちなみに今年の新人賞は、鳩間節と千鳥節だった。
曲の間に調弦がある。これがなかなかきつい。1曲だけなら、控え室で、メーターを使ったり、あるいは先生に調弦してもらって、そのまま弾いて、帰ってくれば良いが、間に調弦があるので、その稽古も積んで来たし、ステージ上で緊張した状態で出来るかどうか不安だった。
つまり、このコンクールに出ると決めた半年くらい前からずっと緊張と不安がつきまとっていたのである。
それが一気にここ石垣島で盛り上がり、頭がポッポッと発火した状態で、今日のように八重山を回ると、本当に見るもの、見るものが、目に、そして心に染みるのである。
「富野」という何気ない平凡な道路看板にさえ、激しく感動し興奮するのである。
「富野」という看板に感動するくらいだから、実際に黒島に行った時には、「ここが、あの野底マーペが命をかけても帰りたかった島なのか」と思うと、胸に熱いものがこみ上げてきました。
また、野底岳を見たときは、ここがマーペが病を押してまで登った山なんだ、とか、実際のうっそうとした登山口まで行った時には、マーペはどのような気持ちでここから登ったのかな、と思うと、万感胸に迫るものがありました。
本島に行ってもこのような感動は味わえませんでした。いやさ。本島にコンクールで行ったら、そのついでにちょっと八重山まで足を伸ばせば良いのですが、私には、そんなヒマのカネもありません。とにかくいつでも、沖縄にコンクールに来るだけで、やりくりで本当に大変です。
だから、この八重山古典民謡コンクール。ここ、八重山の石垣島でやってくれて、本当に良かったと思いました。
さて、ほどなく行くとあかんまサッカーパークがあった。行ってみたが、赤馬の銅像がないではないか。中の方にあるのか、と思い、係員に聞くと、「宮良」にあると。
まあ、そうか、ということで、野底を目指す。
内陸を越え、海が見えてくる。「大田」という地名。あれは「うふだ」か。あの、片はげのある男が、ある女性を好きになり、花酒(上等な泡盛)を持っていってその娘の父親とかけあったが、片はげの男には娘はやらないと言われた、あの「うふだ」である。いやあ、感動します。
しばらく進むと、「野底」が見えて来た。「下地」というものもある。野底臭い地名である。
右手に野底だけが見えて来た。頂上が尖っている独特の山の形をしている。ネットで見たことがある。
遠目に写真を撮る。
更に進むと、ぐんぐんと山が大きく見えてくる。この山があの野底マーペが、最後に黒島を見たくて、恋人に会いたくて登った山なのか、と思うと胸が熱くなる。
小さな川に橋がかかっており、この橋を久場山橋と言うのだそうだ。久場山越路節である。しばらく行くと山が遠ざかっているではないか。行き過ぎである。
また、さっきの久場山橋まで戻ると、ここに登山口があった。道はかろうじてあるものの、うっそうとして、登れと言われてもちょっと一人では怖い感じ。もっとも今日は時間がないので、登る予定はなかった。この登山口の所でつんだら節と久場山越路節を三線を弾きながら唄ってみた。人はだれもいない。
残念ながら久場山越路節はちゃんと暗譜していない。でもいいさ。なんか、このようなところで唄うと、感じがつかめるような気がする。
ここから川平湾に行く。ここも10年ぶりくらいなのだろうか。
川平湾はさすがにきれいである。観光客多い。碑のところで、鶴亀節と鷲ぬ鳥を唄ってみたい、と思ったが、人が多過ぎる。
ここを後にして、名蔵あんぱる を目指す。「あんぱるぬ蟹ユンタ」の場所。石垣島を回ると、次々と唄に出て来た地名が回り舞台のようにくるくると出てくるのが嬉しい。途中に崎枝もあった。
ここは干潟である。ラムサール条約にも指定。だからカニが一杯いると言うが、今日はあまりいなかった。西表の水牛車が出ている所は一杯カニがいたな。ここにはいなかった。うる覚えの歌詞で唄ってみた。やはり現地で唄うと気持ちがよいな。自分の中で何かが理解出来る。
しばらく行くと、名蔵あんぱる の標識があるではないか。降りると、ここに唄の看板があった。
さあ、時間が押している。12時30分を回った。あと1.5時間だ。
これから、黒砂糖や泡盛をスーパーマーケットで買い、トバラーマや赤馬、宮良橋、白保を見られるのか。時間いっぱいだ。
と思ったら唐人墓地、というのが出て来た。2kmというので行ってみる。
なるほど。昔、アメリカに苦力(クーリー)として連れて行かれた支那人が船の中であまりの待遇の悪さに反乱を起こしたという。その支那人らは石垣島に逃げ込んだ。しかし、アメリカ側の追跡は厳しく、見つけ次第処刑。島の人は支那人をかくまったと言う。最終的に日本国政府とアメリカで話をして、260人あまりの支那人が釈放されたと言う。また、苦力の待遇改善を計ることになったという。
竹富島が見えて来た。石垣市街に入る。昨日、歌の日をやった児童公園がある。ここから竹富島がきれいに見える。BEGINは高校時代とか、ここでよく遊び、夕陽を見ながら、友達を話をしたりした、と言っていたが、その公園に行ってみた。昨日は人が一杯、熱気がいっぱいであったが、今日はガランといている。でも昨日のコンサートはすばらしかったな。あれを見られただけでもすばらしかった。
ここから、白保の方に進む。あと1時間くらい。しかし、最後までいろいろ行きたい。全部回れるか。
運転していると、ビッグ1という安売り店が見えて来た。ここに入ってみることとする。行くと、黒砂糖を置いていないと。
向かいのかねしげスーパーに行く。
ここで、黒砂糖や、泡盛を買う.泡盛は清福の43度を買った。どなんはなかった。どなんの60度が欲しい。
ここからしばらく行くと、何と、あの、トバラーマの碑があるではないか。超美味しいポイントだ。大興奮だ。
降りて写真を撮る。3番あこうの木もあった。撮る。
あとは、赤馬。目指して進む。市街地を抜けて行くと、宮良橋あり。「おお、これがあの宮良橋か」と思うと興奮した。
ここは帰りに写真をとるものとする。
そこからちょっと行くと、赤馬の碑があった。ここでも写真。赤馬に触ったら赤馬が上手く歌えそうに思い、膝と足をさすった。なかなか良いものだ。
このへんは宮良湾という白い浜辺の湾があり、赤馬はここを歩いていたと言う。なるほど、このような所なら、歩ける。地元の港や、波のキツいすぐにごぼっと深くなる遊泳禁止の砂浜では馬など歩くことのできるはずもないが、この宮良湾なら遠浅だし歩けそうだ。また、えらく「赤馬節」に対する感覚が研ぎ澄まされてしまった。
ここから白保に向かう。もう時間は15分くらいしかない。
白保の町を過ぎると、海が見えるがきれいな海である。しかし、白保のビューポイントがない。フクギのきれいな道あり。
この辺で時間切れ。引き返す。
帰りに宮良橋で写真。近代的な橋だが、宮良川が海に注ぐ所。きれいな所である。まあ、ここに橋がなければ不便である。「宮良橋」というウタもなるほどだ。分かった。
2時を過ぎた。空港に向かう。
空港には10分頃着。
三線を持ち込めるか聞くと、サイズを測り今日は持ち込めると言う。飛行機が空いていれば持ち込めるのである。
空港の荷物の所で鞄をひろげて、黒砂糖を鞄に詰める。もう人目もくそもない。大わらわだ。でも一段落。
ちょっとだけ時間があるので、ソーキ蕎麦。遅い昼ご飯。ビールも飲む。石垣空港のソーキ蕎麦は肉が大きくておいしい。那覇空港とは大違いだ。
飛行機に乗って帰る。三線旅行の終了である。
そーきそば 肉がでかいのが、嬉しかったぞ。