三線バカ一代

これは、三線、八重山民謡に取り付かれた、一人の男の物語である。  いかに日々の稽古に勤しんでいるか、いかに、八重山古典民謡コンクールを受けるために練習を積んでいるのか。そして、いかに三線を通して男を磨いているのか、を克明に記した。
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本日の一押し 「三線は棚の上」

こんばんは

 面白いブログを見つけたよ。

 ちょっぴり辛口。

 三線のことを書いていながら、食べ物やその周辺の話しばかりのものが多い中、このブログは、けっこうマジに深く捉えている。このような三線関係のブログはなかなかないです。

 内容も深い。

黒木 について
 http://blogs.yahoo.co.jp/sansinr/30124064.html
 なるほど 最近は本島の黒木が出て来ているんだ。
 私は、まず、本島の黒木が枯渇して、まだ、八重山ならある、と言うことになったが、次に八重山の黒木が枯渇。と、思っていたが・・・

コンクールについて (3題)
 http://blogs.yahoo.co.jp/sansinr/folder/5110.html?m=lc&sv=%A5%B3%A5%F3%A5%AF%A1%BC%A5%EB&sk=0
 なるほど 共感できる。

 下に備忘録として、コピペした。上のリンクをクリックオリジナルをみてくだされ。

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1)コンクールなんて

もう一度書きますが、私はコンクールを否定しません。あったほうがいいと思いますよ。

でもね、コンクールがあればこそ、正しい歌が広まるんだなんて考え方にはついていけません。
確かに、ある程度の歌の常識を広めているとか、あるいはコンクールのためにより多くの練習をすることで、技術の底上げができているという点は認めましょう。しかし、正しい歌を広めているなんて大風呂敷を広げてはいけません。

そもそも、コンクールで正しい歌かどうかを判断できるのかって話でして。
合否というのは、正しい民謡かどうかという判断で下されるのではないのです。結局コンクールで儲けている、失礼、コンクールを設けている団体の基準に照らしてどうかという判断です。本当に正しい歌(芸能)というのは、前に書きましたように、感動できるかどうか。あるいは美しいかどうかだと思いますよ。
そういう考えに立てば、コンクールなんて、おもしろくない歌=正しくない歌を量産していると言ってもいい。

合格して賞をとったことはすばらしい。喜ぶべき事です。自慢するのもいい。でも、賞をとったことと、自分に正しい歌が身についているかというのは、まったく別の問題です。そうそう、もう一つ言いたいことが。だいたい、コンクールで合否を確認するだけで、受験者自身が「すばらしい歌、芸能」を判断する力を備えていないってことが大きな問題なんだ!本当に芸能を楽しんできた人たちならば、たとえ自分で歌ったり踊ったりできなくても、そのあたりの判断はしっかりできたはず。そう、「おもしろい」かどうかという、とても単純な言葉でね。

コンクールを否定はしません。でも、コンクールに対する考え方については、否定してしまったかもしれませんね。

【コメント】はじめまして、こんにちは。
私は民謡をやってます。コンクールにも出ます。
けれど、出ていて思うのは「審査は審査員の好み」という事です。
コンクールは大事だと思います。けどそれに出て、本来の趣旨『何の為に習っているのか』が忘れかけてました。コンクールに流されていた自分も一時期いましたしね。

hidarinodoさんの意見、改めて考えさせられました。(By ゆか 民謡ぢゃァァァ!みんな“come on!!”

【コメント】コメントありがとうございます。

ゆかさんのブログ、拝見しました。
参加されているコンクールは、コンペティション形式のものですね。実力者の集まるコンペでは、審査も容易ではないでしょう。「審査員の好み」が出てしまうというのも、頷けます。

沖縄民謡のコンクールは「昇段試験」的な内容で、一定の実力を備えているかを審査して、合格か不合格かの結果を出すというものです。ですが、これもいろいろ気になることがありまして。。
ある団体のコンクールは、団体設立時(会員が少ない時期)には極端に甘く、会員が増えてきてからはそこそこ厳しくなったと聞きます。「審査員の好み」と「団体の都合」というのもあるかもしれません。
なんて書くと、どこからかお叱りを受けるかもしれませんね。

いずれのコンクールも、民謡の楽しさを広げてくれる場であってほしいと思います。

ありがとうございました。

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2)コンクールこそ

長いこと三線をやっていますと、(といいましても、ほとんど棚の上なのですが)いろんな人に出会うものです。三線をやってみたいのだけれど、という相談をうけたことも一度や二度ではありません。私が教えるわけではありませんが(教えられるわけもありませんが)、でも、三線をやろうと思ってくださると、仲間ができたみたいで嬉しいものですよ。

しかし、はじめは三線を楽しんでいたのに、やがて目標をもてなくなってやめてしまったという話も聞きます。残念なことです。

県外で三線を楽しんでいる人には、どんなにうまくなっても発表の場がありません。仲間内の宴席での余興や施設訪問など積極的に取り組んでいる人もいますが、一部の人でしょう。それに、こういった余興的演奏というのは、お客さんの反応が、芸の質に対する評価ではなくて、「よくやってくれました」という感謝が主体です。実力をはかる判断材料にはなりえません。その感謝の拍手に満足できている間は良いのですが、「私の歌は、これで良いのだろうか」と感じるようになると、お客さんにどんなに喜んでいただいても、不安を覚えるようになるようです。
実は、これは県外の人に限ったことではなくて、沖縄県内でも同じことが言えるのです。よほどの自信家でないかぎり、やればやるほど「これでよいのか」という不安が大きくなっていく。それは、確実に達成感を減退させてくれるのです。結果として、三線が楽しくなくなってくる。

そんなときに、コンクールです。

合否という結果がでます。一つクリアすると、その上があります。達成感を得られ、目標も持ち続けられる。これはすばらしいシステムですよ。

前に、受験をやめた男性の話を書きました。男性の場合は、賞そのものをとても大切な物だと考えておられるのです。「その賞をとった人なら、それなりの実力がなければならない」というのは、まじめな考えではあります。でも、最初から「これは、趣味として三線を楽しんでいる人の、目標の一つ」と考えれば、もっと気楽に受験できるのです。

きっと、受験させる人たちは、コンクールをもっと高尚なものだと説明したがるでしょう。合格のためには日々精進し、技術を磨くことはもちろん、精神も芸に対する心がけも、日頃の行いも、とかなんとか言いたがるに違いありません。もちろん、そういったストイックな練習や師匠の神格化やさまざまな精神論も、三線を趣味として楽しむ中の香辛料としておもしろいと思います。などと書きますと、バカにするなと叱られますか。まあ、それでもいいです。それくらい「真剣に」取り組むことも、趣味としてすばらしい。だから、私はコンクールを否定しません。

でもね、コンクールがあるからこそ正しい歌が歌い継がれるのだといった、コンクールを神聖視する向きにはついていけないんですよねえ。

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3)コンクールは

ある男性から聞いた話です。

男性は県外出身ですが、数年間沖縄県で生活をしておられました。そのときに、民謡の教室に通っておられたそうです。
もともと、別のジャンルの弦楽器と歌を得意としておられたそうで、三線の腕もめきめき上達。コンクールもすんなりと通って、いよいよ一番上の賞を受験というときに、考えたそうです。

「自分がこの賞をとって、よいのだろうか」

教室に通って、いくつかの曲をマスターし、コンクールの課題曲は無難にこなせます。でも、それだけで受験して良いのか。十分な腕もないのに、このまま合格してしまったら、民謡を冒涜していることになりはしないか。なによりも、自分自身が受賞者ということに納得できない。

この男性、結局、受験をしなかったのだそうです。

「合格もしていないのにこんなこと言って、生意気ですけれどね。ハハハ」

と口では茶化していましたが、目は真剣でした。

全く同感です。この言葉を聞いて、私はすっかりこの男性を信頼するようになっていました。

男性は、音楽(芸能)に厳しい目をもった人で、人を感動させることができてこその芸能だともおっしゃいました。コンクールに合格した人がみな、人を感動させられる歌を歌えているか。私の知る限り、受験者のほとんどは、合格することにのみ熱心で、聞き手のことなど考えていません。自分の歌を、合格できる形にすることこそが練習だと考えているのです。

だから、コンクールなんて無くていいんだ。とは、私は思わないのです。


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Posted by カラ山 倍達 at 2012年01月18日   23:08
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