中筋ぬヌベーマ の壺
中筋ぬヌベーマ の壺
先日、八重山古典民謡コンクールで石垣島に行った際に、竹富島にも足を伸ばした。自転車で廻ったが、そのとき、竹富島の博物館である、蒐集館に行ってみた。
蒐集館の館長さんといろいろと話す。
何気なく、中筋ぬヌベーマ の壺の話を振ってみた。
この壺は、八重山民謡をやっている人ならば誰でも知っている話である。
昔、竹富島には水を貯める良い壺が無かったと言う。新城島(パナリと呼ばれていた)では、パナリ焼きという良い壺を生産していた。
ある時、竹富島の役人が、新城島にパナリ焼きの壺を求めたと言う。すると、新城島の役人が、竹富島で美人で誉れの高い中筋に住むヌベーマ という女性をよこせ、と言いだしたのである。
竹富島の役人はこの案を飲んだ。
時に、ヌベーマは老いた母親と二人暮らし。一人娘だったのである。
娘が連れて行かれてからと言うもの、母は娘のことを思い、パナリの方を見て泣いて暮らしていたと言う。
娘と引き換えに壺、数十個。そして、新城島の物産が竹富島に運ばれた。
さて、この壺は現存しているのか。
私が今まで聞いた話では、これらの壺は、とっくに壊れており、今、中筋ぬヌベーマの壺として残っているものはレプリカである、とか、那覇で作られたもの、と言うらしかった。
しかし、蒐集館の館長が言うには、残っていて、この館にあったという。
実は、昭和30年代に、この所有者の家が金に困り、この壺を売ろうとして、竹富島の港から出そうとする所を竹富島の役場の人が見つけ、町長に通報。このような宝物を売ってしまってはいけない、と言い、その壺を竹富島で買い取ったと言う。そして、蒐集館で保存していた。
しかし、数年前に、その家の人から「神のお告げがあったから返せ」と言われて、何と、返してしまったと。ちゃんと、昔の領収書もあるのにだ。
まったく竹富町も情けないことをしたものだ。きちんと買い取ったのだから、これは町の財産だ。それを、「神のお告げ」か何か知らないが、それで、ちょろっと手放してしまって良いのだろうか。と館長は言っていた。
壺自体は水を入れて使っていると、ある程度経つと、バラバラになってしまうものだと言う。
しかし、考えてみよう。壺が来た時に、ヌベーマの家にも、1−2個特別に与えられたに違いない。とすればこの壺は娘の形見である。また、水事情が厳しい島のこと。ヌベーマは竹富島の英雄である。命令でいやいやとは言え、我が身を張って、壺を島にもたらしたのだから。
とすれば、この家では、この壺を代々、大事にしていたにちがいない。
だから、現存はきっとしると考えるのが妥当であろう。いや、現存してるのだ。
ツボには、きちんと、作製者の署名も入っているそうだ
このようなツボだったそうだ。
先日、八重山古典民謡コンクールで石垣島に行った際に、竹富島にも足を伸ばした。自転車で廻ったが、そのとき、竹富島の博物館である、蒐集館に行ってみた。
蒐集館の館長さんといろいろと話す。
何気なく、中筋ぬヌベーマ の壺の話を振ってみた。
この壺は、八重山民謡をやっている人ならば誰でも知っている話である。
昔、竹富島には水を貯める良い壺が無かったと言う。新城島(パナリと呼ばれていた)では、パナリ焼きという良い壺を生産していた。
ある時、竹富島の役人が、新城島にパナリ焼きの壺を求めたと言う。すると、新城島の役人が、竹富島で美人で誉れの高い中筋に住むヌベーマ という女性をよこせ、と言いだしたのである。
竹富島の役人はこの案を飲んだ。
時に、ヌベーマは老いた母親と二人暮らし。一人娘だったのである。
娘が連れて行かれてからと言うもの、母は娘のことを思い、パナリの方を見て泣いて暮らしていたと言う。
娘と引き換えに壺、数十個。そして、新城島の物産が竹富島に運ばれた。
さて、この壺は現存しているのか。
私が今まで聞いた話では、これらの壺は、とっくに壊れており、今、中筋ぬヌベーマの壺として残っているものはレプリカである、とか、那覇で作られたもの、と言うらしかった。
しかし、蒐集館の館長が言うには、残っていて、この館にあったという。
実は、昭和30年代に、この所有者の家が金に困り、この壺を売ろうとして、竹富島の港から出そうとする所を竹富島の役場の人が見つけ、町長に通報。このような宝物を売ってしまってはいけない、と言い、その壺を竹富島で買い取ったと言う。そして、蒐集館で保存していた。
しかし、数年前に、その家の人から「神のお告げがあったから返せ」と言われて、何と、返してしまったと。ちゃんと、昔の領収書もあるのにだ。
まったく竹富町も情けないことをしたものだ。きちんと買い取ったのだから、これは町の財産だ。それを、「神のお告げ」か何か知らないが、それで、ちょろっと手放してしまって良いのだろうか。と館長は言っていた。
壺自体は水を入れて使っていると、ある程度経つと、バラバラになってしまうものだと言う。
しかし、考えてみよう。壺が来た時に、ヌベーマの家にも、1−2個特別に与えられたに違いない。とすればこの壺は娘の形見である。また、水事情が厳しい島のこと。ヌベーマは竹富島の英雄である。命令でいやいやとは言え、我が身を張って、壺を島にもたらしたのだから。
とすれば、この家では、この壺を代々、大事にしていたにちがいない。
だから、現存はきっとしると考えるのが妥当であろう。いや、現存してるのだ。
ツボには、きちんと、作製者の署名も入っているそうだ
このようなツボだったそうだ。